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JF2010を振り返って/JFとの係り

 昨年の7月に行われたJCVの総会の時に、JF実行委員会の各実行委員の仕事の軽減に少しでも役立てればと言う気持ちで、事務局長の職を買って出 たのがJF2010実行委員会との係りの始まりだった。

ただ、総会 の時点では残念なことに、前年度の実行委員は一人も実行委員は引き受けてくれなかった。私が事務局長として、過去の経験を生かして新しい人に中心になって もらい、実行委員会の準備と運営の方法全般を教えることが出来れば、JFの将来にとって継続もスムーズに行くと思ったのに、2006年、2007年に続い て三度目の実行委員長になってしまうことになるとは、私の思惑と違った結果となってしまった。話は変わるが、ここで私の知る2005年からの実行委員会の 様子を簡単に紹介しようと思う。

 2004年まで、JFのために中心になって頑張って来たメンバーのJCV退会に伴い、殆ど資料の引継ぎのないまま、JF2005がスタートしたよ うだった。私は途中から顔を出すようになったが、今、振り返ると大勢の会員が、思考錯誤で準備に当たっていたことを覚えている。

 2006年、前実行委員の何人かに頼まれ、2005年のメンバーが全て実行委員になると言うことを条件に、初めて実行委員長の職を引き受けること になった。たまたま、この年は日豪交流30周年の年に当たり、全面的に総領事館の協力を頂き、JF史上、初めて前夜祭も行った。幸い、前事務局長が資料を 整理したCDを用意してくれたので、その資料の分析をしてから、準備に当たることができたので大変助かった。夢中でやった2006年も終わり、2007年 に入ることになるが、毎年、自分に目標を掲げて準備に当たることにして来た。これは実行委員長の職と言う立場に限らず、ボランティアとして参加した 2008年と2009年についても同じである。

 2006年はJCV会員全員に参加してもらって準備をする「みんなで作るJF」を目標に立ててみた。これは一件不可能に思われがちだが、決してそ うではない。私が考えたことは、まず、実行委員が手分けをして、会員一人一人にポスターを届け、家の近くの目立つ所に貼ってもらうことでJFの準備に参加 してもらったのだった。そして、翌年、JF2007の自分に課した大きな目標はマニュアルを作り上げることだった。JF2006の準備と運営の経験から、 今後、誰が実行委員になったとしても、誰が当日の担当責任者になったとしても、仕事の内容が分かりやすく書かれているマニュアルがあれば、毎年、たくさん の時間と経費をかけずに準備と運営に当たれるのではと思ったからである。出来上がったマニュアルの内容が全て正しいとか、これで十分とかは決して思わない が、何もないよりは役に立つことを期待して作ったのだ。今では当たり前になったボランティア ミーティングもJF2007から行ない、この年にJFのプロモーション ビデオの制作も行った。JF2008は実行委員会の方針がこれまでと異なっていたため実行委員にはならず(依頼もなかったが)、ボランティアとしての参加 だった。しかしながら、実際には出店担当者として実行委員会のお手伝いをさせられることになってしまう。この年はブレーカーを絶対に落とさないようにと新 たな電源をTAFEの工作室から別に引くことにした。2009年は、自らJF当日の駐車場担当責任者を希望した。今まで、実行委員長のほか、入場者管理、 場内誘導、そして、出店担当など、色々な部署の担当責任者を経験していたが、外で頑張る駐車場の仕事も一度は経験しようと思ったからだった。駐車場係りの 責任者として、まず、自分がしたことは会場周辺の駐車場の把握だった。仕事が休みの時にBox Hillまで行き、実際に歩いて駐車場の場所と凡その駐車可能台数を調べ、デジカメでも様子を撮って来て、最後はGoogleのマップを使い会場周辺駐車 場のマップを作ってみた。実際に使ってみて、特に当日だけの一般ボランティアにとっては大変役に立ったと思う。これは、今年の駐車場担当責任者のレポート でも証明されている。


 1994年に、JCVの副会長に就任した時にバザー(FETE)を復活させたのが、今日のJFの基になったような気がする。JICAからの助成金の中止 に伴い、少しでも会の運営のための基金の足しになればと当時の役員会で考えて、全会員の家を手分けして回って、いらなくなった衣類や電化製品、そして、食 器などあらゆる物を提供してもらい,バザーで売った。その後、4年間ほど、フード出店者として、フェスティバルに参加。最初の年は市の衛生局の出店許可証 なんかなしで出店していた、今では到底考えられない時代のことだった。特に、クレイトン会場では、注文に追われて娘と一緒にコロッケを揚げたことが大変懐 かしい。

 最後に、JF2010がつつが無く終ることができたのも130人を越えるボランティアの活躍があったからと感謝している。全てを上手くやるのは難 しいが、少しぐらいのマイナスは大きいプラスでカバーできたと思う。JFに関してはもっと、たくさんの思い出があるが、JCVのJFが今後も多くの人に楽 しまれることを切望して、この辺で筆を置くことにしたい。

 ジャパンフェスティバル実行委員長 永嶋 実